気まぐれエッセイ@メキシコ

不定期に適当な文章をつづっていきます(現在バヨ中心)

音楽は役割分担なことについて

 明日のレッスンが先生からキャンセルされちゃったので、代わりにというわけじゃないけど今日更新します。

 

『ブルーピリオド』というアニメが今放映されてて、普段は日本のドラマやアニメで見たいものは私の場合、ムニャムニャで見ちゃったりするんですが、このアニメ(とドラマ『日本沈没』)はネットフリックスでも毎週配信があるので、堂々と見てます。

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『ブルーピリオド』は、高校生の主人公が絵を描く楽しさに目覚めて美大を目指すなかで、いろいろと悩んだりしながら成長していく話(だと思う)。私は、絵を描くことは嫌いではなかったし、中学高校のころはそれなりにいろんな画材に手を出して描いたりもしてたけど、本格的にやろうと思ったことは一度もないです。でもテーマとしては興味あるので、毎週楽しみに見てるんですが。

【以下ネタバレありますので、ご注意!!】

 先日の更新で第5話が出て、主人公は美大の受験に向けて予備校に通い、かつ学校の部活でも美術部に所属して、両方の先生たちや生徒たちともいろいろあり、というところ。で、予備校のほうでは油絵コースに入ってて、これから受験にフォーカスした課題をやります、と先生が言いだす。そして与えられたのが「イメージ課題」。

 これまで主人公は「モチーフ課題」しかやったことがなかったようです。イメージ課題、モチーフ課題という言葉は私は初耳でしたが、モチーフ課題は、よく見る石膏像とかを課題として与えられてそれを描くものらしい。どの角度から描くか、どんなふうに表現するか、構図は、などなど。一方のイメージ課題というのは、この話で出てきたのは「『私の大事なもの』をテーマに描きなさい」とか。モノが目の前にないと描けない……と悩む主人公。

 でもそのうちに、卒業した美術部の先輩の絵を見て、そこには描いた人の考えや思いが明確に表現されていることに気付きます。

おれはずっと構図ばっか考えてた。でも構図は言いたいことじゃなくて、手段じゃん。おれはずーっと、手段で手段の絵を描いてたのか。

 というわけで、主人公は「自分の表現したいこと」をしっかりと探り出すようになり、先生たちにも誉められるようになります。

構図はあくまでも武器だ。テーマにはならない。いちばん大事なのは、”おれはどう考えて、どう見てるか”

 

 ここ、なるほどなあと思ったんですよ。

 もう時効?だろうから言っちゃいますが、私、一時期小説(まがい)書いてました。新人賞にも何度か応募して、何度か最終選考まで行きましたけど、受賞はしませんでした。でもまあそれなりに真剣には書いていたわけで、そのなかで、やっぱりこれと同じような悩みもあったんです。

 言葉の選び方とか、世界とかキャラクターの見せ方、ストーリー展開などなどは、技術です。そういうのは勉強すればある程度は誰でも上達するし、最初は下手でも構わない。でも、テーマは自分の中にあるもので、それを持ってないとか、持っていても適切な形で表現できないと、ダメ。そういうことを、当時、私なりにいろいろ悩んだりもしましたね。

 今は、本を読むのは相変わらず好きだけど、書くほうは(体力の問題とかもあって)放棄しました。その代わりというわけではないですが、今は音楽にのめり込んでるわけですが。音楽だと、ここ、どうなん? と思ったわけです。

 

 こないだちょっと紹介した、18世紀のバイオリンの製作者を探し求めるノンフィクション。

ensayomx.hatenablog.com

 これのどこかに、「作曲家と演奏者と楽器のトライアングル」という言葉が出てました。この本では、一挺のバイオリンの製作者を求めているわけなので、それはむしろ「作曲家と演奏者と楽器職人のトライアングル」なんでは? と思いましたけどね。

 でもまあ、楽器職人と楽器はほぼイコールと考えてもいいのかな。とにかく、少なくともクラシック音楽では、作曲者と演奏者はたいてい別です。これって、美術や文学ではまずありえないんじゃ?

 絵で言うと、モチーフや構図は他の人に決めてもらって、画材や色やタッチのみを製作者が選んで実際に描く、という感じ? 一種の模写? でも完璧な模写ではなくて、アレンジした模写? ピカソゴッホの絵を、自分なりの色や筆遣いで描くみたいなもん?

 逆に言うと、音楽ではモチーフ課題を作曲家がやって、イメージ課題を演奏者がやっている? いや、でも曲にすでにテーマとか「言いたいこと」は込められているから、それもちょっと違うか……。むしろ逆、演奏者のほうが技術を要求される(いや、作曲にももちろん技術必要でしょうが)。

 役割分担という意味で考えると、文学や美術は作品そのものはだいたい個人の制作になるのに、音楽と演劇・映画の類は大勢で作り上げることになってるんだなあ。まあ建築なんかは造形という意味で美術に含まれるとしても携わる人は大勢だったりするけど。

 

 私はこれまでの半世紀以上、マイペース人間というか協調性がないというか、何でも一人でやるのが好きなほうだったので、そう考えると私が音楽なんかやるのはムチャなんじゃ……という気もしてきましたw

 今は先生とやってるだけだけど、ソリストになるわけじゃなしw*1、というかそもそもプロにだってなれるつもりはないけど、でもやっぱり音楽の楽しみは合奏がメインなんだろうしねえ。そりゃただの趣味、遊びでやってるんだから、気の合わない人と合奏する必要はないっちゃあないです。というかそもそも合奏できるレベルの端っこの端の端にようやく到達したくらい? (今やってるモーツァルトはデュエット)

 だからそんなこと心配するのもおこがましいって気はしますけどねw

 

 しかし、楽譜があって、それをどう演奏するか、そのための技術を習うってのは、ある意味「モチーフ課題」なのかな。そしてレッスンの最初のころから先生に言われてきた、楽譜の音をどう解釈してどう表現するかってのが「イメージ課題」? あれ? じゃあやっぱり演奏者は両方やってるのか?w まあそもそも音楽と美術を同じ形に当てはめようとするのが無理なんかな。

 でもとにかく、技術がまだまだ追いついてないとしても、自分が弾く曲をどう解釈して表現するか、ってのは本当は今の段階でも考えておくべきで、その音を目指して練習すべきで……。でもそこらがぜんぜんわかっていない私は、まさに『ブルーピリオド』の主人公の、第5話の冒頭部分の状態です。モチーフ(=楽譜)は与えられてるのにね? 

 

『ブルーピリオド』の第5話では、テーマを自分で見つけることを学んだ主人公ですが、すぐに行き詰まってしまい、最初に自分なりのテーマで書き上げた絵の焼き直しみたいな作品を作ってしまいます。

鮮度がないんだよねえ。挑戦も工夫もない。これじゃあ(美大に)受からないよ。

 と予備校の先生に言われて*2、主人公、落ち込みます。そんなことを知らない主人公の母が、電話で誰かを相手に、才能があるかどうかなんてわかんないけど、好きだから頑張れるんじゃない~?と気楽に話しているのを自室で聞いた主人公は、

好きなことをやるって、いつも楽しいって意味じゃないんだよ、母さん……

 と苦悩してました。うんうん、好きだからやってるんだけど、いつも楽しいわけじゃないよねえ、ホントに。なんでできないんだ~~!って頭掻きむしりたくなるときもあるw でもまあ、それが続いたあとに、ふっとできたりするのが楽しいってのも、ありますw

 

 そういえば上記のバヨ製作者を探す本に、著者の体験談ですが、練習に関しての記述があり、印象に残りました。ある曲をものすごく頑張って、分析し、練習方法を考え、辛抱強く練習を重ねて、ある一定のレベルまでは行けても、その先に行けないことがある。そういうとき、練習をやめて、数ヶ月まったく弾かずにいても、ある日再挑戦してみるとふっとできたりする。んだそうです。ま、その次にまた別の問題が現われる、とも書いてますがw 

 こういう内なるリズムのようなものは確かに存在して、そこを飛び越していく近道はなく、練習だけではどうにもならないことはある、という話で、それに関して面白い話が紹介されてました。

毎日一緒にお茶を飲む二人の男がいた。たくさんの砂糖を入れて飲むのだったが、ある日、一人が言った、「お茶が甘くなるのは、砂糖を入れるからじゃないんだよ」。「じゃあどうして甘くなるんだ」ともう一人が訊ねると、「簡単さ、かき混ぜることでお茶は甘くなるんだ」との答え。では何のために砂糖を入れるのか? 男は答えた、「いつまでかき混ぜればいいか知るためにさ」。

 だったら塩でもいいんかッ! と私なら突っ込むところですがw

 いやでもなんか、すごく哲学的で面白いです。バヨがうまくなるのは、練習するからじゃないんだよ、ってことですかね。じゃあどうしてうまくなるんだ? 時間をかけることでさ。じゃあ何のために練習するのか? いつまで時間をかければいいか知るためさ。確かに、弾いてみないと、うまくなったかどうかわかりませんもんねw

 バヨが上達するのは、ブログを書くからじゃないんだよ? じゃあどうして上達するんだ? 練習するからさ。じゃあ何のためにブログを書くのか? 何のためだろうねえ……? 単なる自己満足? 哲学的要素ゼロでスイマセンw ちゃんちゃん♪

 

 音楽のモチーフ課題とイメージ課題についてマジメに考察したかったんだけど、ちょっとこれはまだまだ私の手には負えない気がするので、とりあえずこんなところで~。

*1:ソリストももちろん合奏しますが、指揮者やオケのほうが合わせてくれるから、ソリストは好きに弾いていればいいイメージ。実際はどうだかわかりませんし、人によってはソリストでもゴーインマイウェイじゃなくて、ちゃんと相手の呼吸を見て自分から合わせる人もいるんでしょうけど

*2:これ、私の新人賞で似たようなことを言われたのでよくわかりますw 新人賞では技術よりも勢いとか新鮮さが評価されるんですよね

スズちゃんでスピッカート

 昨日、隣町に行ってスズちゃんを連れ帰りました。今度こそ、膠剥がれはもう起こらないでほしい……。で、明日もまたまた隣町まで往復6時間しなきゃいけないので、今日は練習しましたが、ブログは短めに。

 

 久し振りのスズちゃん、第一声を弾いて思ったのは、音がまろやか~、ってこと。カール君にすっかり耳が慣れちゃってたからね。あとでカール君取り出してきて弾き比べてみたけど、うーん、やっぱりカール君音がざらついた感じ。それとネックのところが、細くしてもらって指板に指が届きやすくはなってるけど、断面の形がスズちゃんと違うみたいで、ビブラートとかスズちゃんだと親指がずれることはそんなになくて弾きやすかったです。カール君だと、親指がずり上がってくるんだよね……。

 というわけで、スズちゃんに問題なさそうなので、カール君はきれいに拭いて、弦を少しだけ緩めて片付けました。

 あ、顎当てがカール君のほうが心持ち小さくて私の顎にフィットするので、スズちゃんと取り替えようかなあと。これは弦とかには触らない部品なので、自分でやっても大丈夫そうだし。弾き比べてみたときの感じだと、カール君の顎当てのほうが高さもちょっと低い? と測ってみたところ、2ミリしか違わなかった。しかもバヨ自体はスズちゃんのほうが2ミリ薄い。ということは、全体では同じ? とりあえず今のところはそのままにしてます。

 

 さて、スピッカートの練習、カール君でやってたときは、イギリス製の弓とザイフェルトで比べてみたところ、ザイフェルトのほうがやりやすいと感じたんですが、今日は開放弦だけじゃなくスケールでやってみたところ、開放弦だとまあ普通の音が出てたのに、指で押さえた音になると、きれいな音が出ないことが判明。飛ばし方がよくないんだと思うけど、念のため、と弓を持ち換えてみたところ、イギリス製の弓のほうが音が出る。

 まあ松脂の量とか、張り具合とかも違うのかもしれないけど、ザイフェルトは1月に毛替えしてもらってからずーっと使ってて、最近イギリス弓を使い始めたけど、こちらはザイフェルトほど使ってないので、毛の摩耗がまだ少ないのかも。スピッカートって毛の引っかかり具合でだいぶ左右されそうな気がするし。

 

 弓2本を持ち替え持ち替え、スピッカートをいろいろやってみたところ、開放弦で練習してたときは、弓を前後にほとんど動かさず上下にバウンドさせるだけでもけっこう音が出てたのだと発見。でもそれだと、弦を押さえたときに音が出なくなるわけです。

 そのためにはやっぱり弓をもっと前後に動かさなくてはならないので、手首の運動が必要になってくる。で、今日は曲も少しはやりましたが、大半をスピッカートの練習で、ぶんぶんぶんぶんやっておりました。ちょっとは形になってきた、かなあ……?

 

 コンチェルティーノも忘れないようにと、第1楽章から第3楽章までピアノ伴奏で弾いたんですが、第3楽章はテンポが速いので、バヨが耳元でがんがん鳴っちゃって、ピアノ伴奏がボリューム最大にしてもほとんど聞こえず、うまく合わせられないんですよねえ。カール君だとそんなにうるさくないんだけど、スズちゃんはそば鳴りがすごくて……。

 で、ふと駒の角度が気になって(今日は調弦もかなりしたし)チェックしてみたところ、あ、ちょっと傾いてるな。で、直そうとして、駒をばたんと倒してしまった……! ぎゃああああ、またか! すぐに弦を緩めて駒を立て直したけど、なんか、f字孔のfの横線より指板寄りになってるなあ? ホントは真ん中に来るべきなんだよねえ? 迷ったけど、もう一度弦を緩めて、f字孔に合わせてみました。そうすると、音がやっぱり劇的に違う。上品な、といえばいいですけど、前よりちょっと弱く(魂柱に近付くわけだから当然ですが)なんか虚ろな音色になった気がする。うるさくなくていい気もするけど、でもやっぱり物足りないかも。てことで、またまた弦を緩めて最初にあったと思われる位置に(駒の足元にうっすら跡がついてるのでだいたいわかる)。音も元に戻りました。少なくとも私の耳には。

 明日また行くので、持ってって工房でちゃんと見てもらうこともできるけど……。どうだろ、大丈夫かなあ。調弦も、今まではペグを回すのが怖くてびくびくだったけど、今日は3回もやり直したので、だいぶ慣れてきて、音を鳴らしながら回してピタッと合わせられたり。プロみたいに、バヨを顎に挟んだ状態で左手でペグを回す芸当はできませんけど……。

 

 そういえば先週末ダンナがモンテレイに行ってたんですが、義兄からのお土産、と言ってこんなもん持って帰りました。

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 最初、この写真を送ってきて、10万ペソ(約55万円)のバヨ🎻!とか書いてきてw いやこれ、バヨちゃうやろ、と返事したら、よくできました~💮とかムカつくことをw 

 そもそもこのテールピース、ギターっぽいし、駒ないし、と思ってましたが(スマホで見る写真は小さいので)、現物見て納得。駒は自分で立てるやつかw

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 駒を立てたらだいぶバヨっぽくなりました。が、それでもひどいw

 

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 弦が交差してるしw てか、顎当てどころかテールピースもないし。

 

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 指板には、フレットはないけど、ギターみたいな印がついてる? と思ったんですが、これ単に指板を打ち付けた釘の頭かw

 

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 ペグボックスはボックスになってなくて、弦が外側に。

 

 でもね、妙にリアルなところもあるんですよ。

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 指板が表板から浮いてる! (いちおう、かろうじて)

 

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 そして、見えるかなあ? 魂柱がある!!! これにはちょっと感動しました。

 バヨの全長では30センチちょっとくらいで、割と大きさあります。小さい子供なら弾く真似できるくらいの感じ? 音は鳴らないけど。

 

 2年くらい前のクリスマスだったかに、日系ブラジル人の友人からもらったミニチュアバヨがあるんですが、こちらは掌サイズなのにめっちゃ精巧で(たぶんかなり高かったものと思います)、アップで写真撮って別のところに載せたら本物と間違える人続出でした。そちらも機会があったらいつか紹介します。

 

 

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スタッカートじゃなくてスピッカート?

 今日は死者の日(お盆みたいなもの)で、ダンナのお母さんは去年の11月末に亡くなったので、これが初盆。ダンナのお兄さんたちがモンテレイ(飛行機乗り継ぎの距離)まで来いと言うので、ダンナだけ出かけてて留守で、バヨレッスンにはタクシーで往復しました。今日は比較的涼しく*1、タクシーも割とすぐに捕まったので、思ったより楽ちん。先生宅では扇風機が倒れて壊れたの~、てことで扇風機もなしでしたが、それでもいつもほど汗かかずに済んだし。

 

 ただし、レッスン中、別の汗はかきましたけどね。

 まず先週のモーツァルトでスタッカート、習ったのに家に帰ったらわかんなくなって、下手に間違ったことするよりもと思って控えました、と言ったら、先生もうんうん、そのほうがマシですねと。で、スケール一通りやってから、じゃあスピッカートやりましょう。

 え? スタッカートじゃないの? スタッカートは、マルテレとセットで、マルテレをスラーでやるのを先生はスタッカートと言ってるんで、本当はできるはず、でもモーツァルトの楽譜だと弓の分量をどう配分すればいいのかがわからない、と思ってたんですが。

 

 スタッカートもスピッカートも、楽譜上では音符の上に点がついてるもので、見た目は一緒。でも、作曲家や曲の特性によって、スタッカートだったりスピッカートだったりするらしいです。よくわからんが……。とりあえず、その都度先生に訊けばいいかw

 で、スタッカートは、その音を最後にちょっと止める奏法。スピッカートは弓を跳ねて弾く奏法。と理解しました(レッスンの先生の説明と、帰宅してからいろいろネットで読んだのをすり合わせて)。スタッカートはその音の終わりで弓が弦を離れるとは限らず、つけたままの場合も。スピッカートは速くなると必ずしも弓が弦を離れるわけではないようですが、基本は離れると。でも、この二者は厳密にどっちというものでもなく、境界は曖昧? うーん、難しい。

 

 が、とにかくスピッカートです。弓を弦の上でポンポンと跳ねさせる。スペイン語では、rebotarという動詞。肘は動かさないで、手首と指だけで。

 跳ねるのはね、跳ねるんですよ、弓。それはもう、勝手にボンボンとw 跳ねすぎて、あっちこっちあらぬ方向に行くし、ゆっくりならいいけど、速くやってって言われると、弓が跳ねすぎてて弦に戻るのに時間がかかって速くできないw 暴れ馬を調教する気分?

 それと、先生に言われて初めて気付きましたが、私、スピッカートをアップから始めてましたw ダウンからね、って言われて、へ?ってなってw 何となくですけど、アップのほうが跳ねやすいから?

 で、ト長調のスケールをスピッカートで、とかやらされたけど、いやはや。しかも、2オクターブ上がっていって、最後のソを下りのときもう一度弾くタイプのスケールなんですが*2、その戻りの最初のソはダウンでね、って、なんでそこだけ違うのッ!? なんて、スピッカートと関係ないところでも苦労するし!

 一通りスピッカートの練習方法を習って、そのままモーツァルトに突入し、ひぇぇぇ弓が、弓が暴れる!てな感じのスピッカート(もどき)を交えつつ、全体がまあまあ弾けるようにはなってるんで、初の先生とのデュエット♡ とはいえ、私は自分のパート弾くのに必死で、先生の音はほとんど聞こえてませんでしたが……。

 

 レッスンの最後には、コンチェルティーノの第3楽章やりましょうって言われて、ここんとこずっと速いテンポで練習してたのに(128)、その伴奏をiPadに入れてなくて、入ってたのはなんと、112。先々週、それで弾いて聞いてもらったんだけど、今日はもうぜんっぜん弾けなくて。まずテンポが合わない、音は外すし、指間違えるし。

 先生に、速く弾くことより(先々週聞いてもらったとき、ホントはもっとテンポ速いんだけどって先生が言うから練習してたんだけどね……)、ちゃんと楽譜を読んで全部の音をきちんと出すように、と怒られました😓 

 で、この第3楽章にも、黒い点々がけっこうあちこちについてて。ロンドでテンポ速めですからね(アレグロ)。勝手にスタッカートになっちゃうところもあるけど、全体にできてない自覚はありましたとも! 今日の午後練では、112はさすがにゆっくり過ぎだけど、120で練習。

 でもこの一週間も思ってたんだけど、日によって、たとえば第1楽章のBパート、速いところが楽々と弾ける日があるかと思えば、翌日には指がぜんぜん回らなくてどうしても弾けない!って日があったり、すごく不安定です。なんでかなあ。

 今までほぼト長調の指遣いの曲ばっかりやってたのが、ヘ長調スケールやモーツァルトイ長調とかで指の間隔がいろいろになってきて、音程取れないってのもあるかもだし、脳みそのキャパシティの問題かもしれない。練習するしかないですね。

 

 午後は、スピッカートの練習、ネットでもいろいろ読み漁ったり動画を見たりして、参考になりそうなのを探し、まずは開放弦で弓をボンボンボン……。

 弓が弦に対してちゃんと直角になって、跳ねるときもその角度を保ってないと、弓があっち向きこっち向きして暴れるので、まずは跳ねないで、弓を弦につけたまま短く、きこきこきこ、と弾く練習。角度も鏡見て確認。

 肘がどうしても動いてしまうので、その肘を壁につけて、手首と指だけで動かす練習。

 ずーっとやってると、手がけっこう疲れるので、合間に休憩したり、コンチェ弾いたりしながら、きこきこきこ、ボンボンボン。やってると、だんだん安定してきて、ダウンとアップで音が違っていたのもまあまあ同じ音が出るようになり、跳ねる度合いも毎回ほぼ同じになってきました。それで、少しずつ速くしてみると、あるところまではうまく行くんですが、それ以上速くしようとすると、弓がずっこけてしまう

 まあ一日目だからこんなもんか、てことで、その速度でスケールをやってみたりして、今日は終了。今週は、水曜と金曜に隣町まで行かないといかんので(スズちゃんのお迎えもあるけど、病院の定期健診がまた始まったので)、二日は練習できないんだよなあ。まあしょうがないわな、そういうときもある。

 とにかく来週のレッスンまでに、何とかスピッカート(形だけでも)できるようになるといいんですけどね……。

 

 しかし、やってもやっても難問が次から次へと出てくるバヨって、こんなの習う人、どんだけマゾよ!? って今、ちょっと思い始めてます……。

 あーでも昨日紹介した本の作者、子供のころはバイオリニストになろうと目指して頑張って練習して、でも自分には無理だと悟って諦めた、という話のところで、私は子供のころから習ってたらこんなに苦労しなかったのになあ、人生やり直せるならやり直したいわ、とか思ってたけど、なまじ子供のころから習うと、プロになるって選択肢があって逆につらかったりもするのかなあ、と。この歳で始めたら、間違ってもプロになれないのは明らかなので、最初から気楽に楽しめますしね。

 だとしても、気楽にエベレスト登攀、とかって山のふもとにかじりついてる気分ですけどね……😭

 

 

*1:最高気温28度、最低気温25度!

*2:そこを繰り返さないで、ソラシドレミファソ♪ファミレド……って戻るタイプのスケール練習もあり

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