気まぐれエッセイ@メキシコ

不定期に適当な文章をつづっていきます(現在バヨ中心)

飛行機の旅は波乱万丈(3)ビザの落とし穴凹凹編

 諸事情により、更新一日遅れてすみませんでした。

 

 さて、飛行機の旅は最近は国内旅行もあるけど(特に国が広いメキシコや米国では)、やはり多いのは海外への旅行、となると必要不可欠なのがパスポートと、そして滞在期間によってはビザ。パスポートに関しては、私は問題が起こったことはほぼないんだけど*1、ビザに関しては、そういえば初の一人旅のときもビザなしでドイツ行き敢行して、またすぐに日本に戻る羽目になったんだったなあ。

 

 しかし、それにも劣らぬ大問題が起こったのが、2003年と2004年だった。この話は、すでに口頭で何度もしているので、もうあんまり大したことじゃなかったような気もしてるけど、やっぱり大変だったかなあ。

 

ダンナ、第一の落とし穴

 2003年、それは私が14年にわたる浦島生活*2に終止符を打つべく日本行きを決意した旅だった。ま、14年ぶりに帰った実家で、帰るなり父親と大喧嘩になったわけですが、その辺はプライベートな話だし、飛行機のせいじゃないので割愛して。ただし、このときの旅行の予定として、私がまず日本に行って、3週間ほど過ごしてから、日本に来るのは初めてのダンナ(ドイツで知り合ったメキシコ人)がやってくることになっていた。

 ところが、このときの飛行機はメキシコシティからロサンゼルス経由(乗り換え)成田着、そして伊丹までというコースで、出発当日メキシコシティに着いたダンナから日本まで電話がかかり、ロサンゼルスで一週間燃え続けている山火事の影響で飛行機が飛ばないと。明日は飛べたら飛ぶ、でもわからないとのこと。ひえ~。

 でもまあしょうがないので、運を天に任せて、到着予定だった日から一日遅れで空港までダンナを迎えに。何しろ連絡手段が国際電話しかなかったので(当時はスカイプとかなかった)、本当に到着するのかどうかドキドキしながら到着ゲートのとこで待ってたら、無事にダンナ現わる。あーよかった。

 実はこのときに、ダンナが「ロサンゼルスの税関でビザのことで揉めた」と話してくれたんだが、とにかく来るのか来ないのか(そして父親とも話がこじれてややこしいことになっていたので)気をもんだあげくだったので、無事に到着しただけでほっとして、その話を深刻に捉えなかった。これがのちに大問題になった。

 

 何があったかというと、ロサンゼルスではトランジットの滞在一時間だったんだが、ダンナはメキシコ人だが、米国の永久ビザを持っていた。義兄が国境近くの町に住んでいて、米国へのお買い物ビザを持っているし、そこへ遊びに行くと、みんなで米国へお買い物行きましょう~♪ とか割と気軽な感じでみんな行くから、ビザはあったほうが便利で、いつだったか取っていたわけ。

 その「永久ビザ」があるからトランジットだって問題ないはずだったんだが、ロサンゼルスに到着して税関を通るとき、9.11テロの影響で、それ以前に出されたビザはすべて無効になると言われたと。ダンナの永久ビザも、だから無効だよと、その場でそのページに穴を空けられ、ビザは取り消された。

 え! そんでどうしたの!? と訊いたら、そこからメキシコに戻ることもできないし、無理やり突破してきた、とダンナ。どういう意味だw よくわかんなかったが、上にも書いたようにとにかく日本まで無事に来たんだからよかったよかった、ということでスルーしてしまった。

 

 さて、ダンナの初の日本旅行はあっちこっち忙しかったけど、とにかくまあまあの満足度で終了し、最後は大阪の友達(ダンナも昔から知ってる)のところに泊めてもらって、帰国当日の朝、伊丹空港へ。

 ところが……チェックインの時間になったので、カウンタへ行き、ダンナとふたりトランクを渡すと、何だかえらく時間がかかる。他の人はもうみんないなくなって、私たちだけ残る。その段階になって、ダンナの米国ビザがないので、ダンナは乗せられないと言われる。だって、たかが一時間のトランジットに。さんざん揉めるが、アメリカ大使館まで電話をかけて、ダメだと言われた。

 それじゃ米国経由じゃない便を取ってくださいと言っても、そこではできないと言う。カナダ経由でも同様だ、ヨーロッパ経由しかないと言う。日本からヨーロッパ経由でメキシコへ……死ぬほど時間かかるし、高い。そんなん、無理。

 私はね、問題なかったんですよ、日本人だから。あっそ、じゃあ私は予定通り帰るから、ダンナ、日本語まったくできないけど何とか自力で帰ってきてね、とは言えないよねえw というわけで私も飛行機キャンセルですよ。

 とにかくそこではどうにもならなくて、呆然とそこを離れ、まずこの近くの旅行代理店がどこかと空港の案内所で訊ねるが、そういうことはわからないと言われる。役立たず~~! 

 だけど、ダンナはとにかく休暇が終わって仕事に復帰する日に間に合うように帰らないといかん。見送りに来ていた母親に、飛行機のチケット買い直さないといかんからということでン十万円を借りました。そして、前日泊めてもらった友達(仕事中)に電話を入れて、かくかくしかじかでもっぺん泊めてくださいとお願い。

 重たいスーツケースを引きずって友人宅へと戻り*3、その最寄りの旅行代理店を教えてもらってそこへ飛び込む。ダンナの仕事始めに間に合う便でアメリカを経由せずビザが要らない飛行機で一番安いのを探してください。

 午後6時くらいまでかかって、その間ご飯を食べる間もなかったから、お腹が空いて目眩がしたよ。やっと、JALの直行便、バンクーバー経由が取れる。カナダも同様にビザが必要だと言われたけど、と訊くが、あちこち調べてくれて、大丈夫と太鼓判。ふたりで往復チケット40万。母親から借りたお金でも足りなくて、友人からも、滞在延長三日分の生活費も含めて借金。

 もうもうもうもう、二度と米国経由の便なんか使うもんかッッッ!!! と決意した出来事だった。

 

 私が落ちた落とし穴

 が、しかし。帰りのために買ったチケット、やっぱり片道より往復のほうが安いというので、往復買ったんだよね。そして、ロサンゼルス経由チケットの帰りの分も、キャンセルしてオープンに替えてはくれていたので、まだ使える。ただし、何か月以内とか期限がけっこう短かった。で、いろいろ考えたあげく、私だけ*4もう一度日本へ往復することに。

 メキシコ→日本は、カナダ経由の日本で買った往復チケットの「復」で*5、日本→メキシコは、むかつくロサンゼルス経由の往復チケットの「復」。

 2004年2月。私ひとりでの日本旅行。14年帰らなかったのに、その次は3ヵ月後とか、早すぎやろw でもしょうがない。

 さて、このとき私はメキシコでの永住権(=移民権)取得の資格を満たして、それを申請中でありました。メキシコの法律では、永住権申請中は基本的にはメキシコを離れてはいけないことになっている。どうしてもという場合には、その期間を申し出て許可を受けなければならない。と、移民局で言われたので、これまた例によって、書類をそろえ、お金を払い、行き違いがあってやり直し、また書類をそろえて……とかやって、どうにかこうにかメキシコを離れる許可もゲット!

 今度は日本人である私だけだし、問題はない。ただし、帰りの(ムカつく米国経由の)チケットの書き換え違約金50ドルを、伊丹に着いた時点であらかじめ払っておいてくださいと言われていた。まあ……しょうがないわな、と言われたとおりに伊丹でカウンターを四か所くらい歩き回って訊ねたんだが、結局あれこれ調べたあげく、そんなの払わなくていいよ、と言われる。え、そうなの? 変だなー、そりゃ払わずに済むならそのほうがこっちはありがたいけど……いざ帰る段になって、チケット書き換え? 何の話ですか、とか言わないよね???

 とすっかり疑心暗鬼の私。それでもまあ日本ではそれなりに楽しく過ごし、借金も無事に返し、さぁメキシコに帰りましょ♪ の伊丹空港にて。

 

 

 チェックインのとき、まずはじめは日付変更に伴う費用を払うべきかどうかで確認すると言って待たされる。やっぱりかよ~~、と思ったらそれは払わなくてよかったのだが、そのあとメキシコのビザがなくて、出国許可証だけだったので、また揉めた。

「ビザは」と聞かれて、

「今は移民権申請中なので、ビザはないんです。代わりにこちらの出国許可証が現時点での正式な書類となります。ここのこれが書類番号です」と答えたが、書類は当然スペイン語

 係員のお姉さんは困った顔をして、

「以前アメリカで移民権申請中の方が入国拒否された例があるので、この書類で問題がないかどうか問い合わせないと」

「でも日本の国籍でパスポートもあるなら、ビザはいらないんでしょ?」(←米国のことを言っている)

「それはリターンのチケットがあれば、そうなんですけど」

「いや、だから、これがリターンの、帰りのチケットなんです」

 もうすでに話がぜんぜん噛み合ってない。今落ち着いて考えるとお笑い種だけど、このときはもう完全に、米国に入国拒否される話だと思っていた。まさか、30日以内に帰って来いよ、そうでないと申請中の移民権は取れなくなるぞと言っているメキシコに入国拒否される心配をしてくれているとは、夢にも思わなかったし。

 結局、伊丹空港からロサンゼルスまでのチケットをもらってスーツケースもそこまで行くはずが、搭乗口まで行くバスに乗り込むところで搭乗券を自動改札に通したら、そこでブザーがピーピーと鳴りやがった。もうみんなバスに乗り込んで待ってるのに、私だけ足止めされて、係員が駆けつけてくる。

 またもさっきの、メキシコからの書類を見せて説明するも、信じてないのか、理解できないのか? もう他の皆さんはバスに乗り込んで早くゲートへ向かおうと思っているのに、私一人のためにバスが出発できず、この人、大丈夫なんかしら? という視線をチクチク浴びながら、説明を繰り返したけど、どうしても話が通じない。日本語、しゃべってますよね、私?

 バスの運転手さんも、早くしてくださいよ~、と言うので、とうとう係員が言うには、この書類のコピーを取らせていただきます、チケットはいったん成田止まりにして、荷物もそこでピックアップ、それから改めて成田でチェックインしてくださいと*6。はぁ~めんどくさいね。でもしょうがないよ、わかりました。

 成田では私の預けた荷物は最優先で二つとも出てきた。それはちょっと気持ちよかった。見ると、最優先の札がつけられていた。それを持ってチェックインカウンターへ。そこで事情を説明すると、また確認してまいりますと言って待たされる。しかし今度はすぐに別の係員が来て、メキシコの出国許可書を大使館のほうへ送って見せたところ問題ないといわれたと言う。当ったり前じゃないか。

 ここでようやく、日本側が気にしていたのは「米国による入国拒否」じゃなくて「メキシコによる入国拒否」だったのか! と私も気付いたけどね。私にとっては、それ、噴飯物の発想で、とうてい思いつけなかったのが落とし穴だった。

 

 というわけで、米国経由の飛行機は2度にわたって強烈なネガティブ体験をさせてくれたので*7、もう本当に、二度と使ってない。だいたい、9.11テロからまだ間がなかったからしょうがないとはいえ、スーツケース預けるときも鍵はかけるなとか、ダンナは鍵かけていいよと言われたのでかけておいたら、それを壊されてたり、中身ぐっちゃぐっちゃにされてたし、ダンナが持ってきたテキーラの瓶は割れてたし*8

  その後、メキシコから成田までの直行便ができたりもして、おかげで米国に関する問題は起こってない……かな?

 

ダンナ、第二の落とし穴

 ま、それから10年くらいして、今度はダンナがイタリアでの研修に(プライベートで)参加することになって一人で出かけ、メキシコシティからパニックで電話してきたことはあった。そのときの便はカナダ経由だったんだが、シティ空港で、カナダのビザ持ってないからダメって言われて飛行機乗れなかったって……。いや、そんなこと家にいる私に言われても……。

 第一、日本から帰るときカナダ経由だったけどビザなしで問題なかったじゃないか。ダンナもそれが頭にあって確認しなかったらしいんだが、あれからカナダの法律が変わって、メキシコ人はトランジットでもビザ必要になってたって。知らんがなーーー。しかも悪いことに、それが判明したのは金曜の晩で、カナダ大使館でビザを取ろうにも、月曜まで身動きできない。研修は月曜に始まっちゃう。

  このときもややこしい計画で、ダンナがイタリアで研修一週間、それが終わったら私はドイツに飛んで、イタリアから来たダンナと落ち合う予定だった。けどとにかく、今は研修に間に合うこと優先で考えて、買えるイタリア行きのチケットを買え、と指示。ドイツ行きは延期に。で、ダンナ、ぎりぎり研修に間に合って、一応ハッピーエンドだったんだけどね。ドイツもあとでちゃんと行ったし(変更に伴う違約金は払いましたけど)。

 

 

 まったくもって、メキシコ人は日本人に比べて不自由でござんす。私はもう、日本じゃ暮らせない体質になってるから*9、メキシコ国籍取ったっていいくらいなんだけど、メキシコ国籍取ると、メキシコ側では日本国籍と二重でも何の問題もないけど、日本側では問題らしいからねえ。やっぱり菊のご紋のパスポートの威力は、あちこちで体験しているので、手放せません。

 飛行機の旅のトラブル、細かい話は他にもいろいろあるけど、またそれはいつか、気が向いたらってことで、この連載はいちおう終了します。長々と読んでくださった皆さま、ありがとうございました。

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*1:一度だけ、ドイツの日本領事館で新しいパスポート申請しようとしたら、ドイツの写真屋さんで撮ってもらった写真が「胸から上」じゃなくて「首から上」だけだったのでダメと言われて撮り直しに走ったくらいか

*2:前の記事参照

*3:いったんコインロッカーに入れてたんだけど、チケット買い直すとなったらどこから飛ぶかわからないので

*4:ダンナのも残ってるけど、ビザ取らなきゃいけないこととか、休暇がその期間中にはもう取れないこととかで無理なので、結局往復分無駄になりました

*5:これもオープンで設定してもらってた

*6:ただし、成田から先の飛行機に乗せられるかどうか保証はできません、とも言われた。

*7:2度目はホントは米国関係なかったんだけどねw

*8:まあこれはダンナのせいもあったかもしれん、まともなパッキングできない人だけど私はすでに日本で手伝えなかったから

*9:遊びに行くのは大好きですよ、家族も友達もいるし、ご飯おいしいし、本屋もアマゾンとは違う楽しみがあるし