気まぐれエッセイ@メキシコ

不定期に適当な文章をつづっていきます(現在バヨ中心)

ヘルタ・ミュラーとハーメルンとヘッセと昔の友人と

 ドイツ語ブログでいろいろと取り上げるマルさんのおかげで、私も持ってるけど読んでなかったドイツ語の本の埃が次々と払われてゆくw ヘルタ・ミュラーもその一つ(というか三冊)。

 

まずはヘルタ・ミュラーの話

 ヘルタ・ミュラーノーベル賞をもらったときも、あ~読まねば、と思ったのを覚えているが、あれはいつだっけ? 2009年か、12年前。再び、本棚から引っ張り出してくる。持っているのは3冊。

f:id:tierra_azul:20211002105825j:plain

 アマゾンを見ると、今はフィッシャー社から出てるみたいだけど、当時はrororoだった。右端のは、日本の文庫サイズ(やや幅狭)というちょっと変わったフォーマットの短編集。たったの2マルク!! こりゃ買うわなw で、今その短編集を読んでます。

 

 ところで、ヘルタ・ミュラーを知ったのは、メキシコに来て数年後に私もダンナもドイツの大学の書類が必要になり、旧交を温めるのも兼ねて一度ドイツに帰ろうか、ということで、私だけドイツに行ったときでした。

 ドイツで暮らしていたころ仲のよかった日本人の友達にRさんがいて、彼女は当時すでにフランクフルトで仕事をしていたけど、ドイツ人の旦那さんはまだ私たちが知り合ったその町に住んでいたので、週末にやってきた彼女と会い、ほぼ徹夜でおしゃべりをし、そのときにヘルタ・ミュラーいいよ~、とお薦めされたんだったと思う。

 そのRさんの旦那さんが、ジーベンビュルゲン出身というのは、それより前に聞いて、びっくりしていた。ジーベンビュルゲンSiebenbürgenというのは、現在のルーマニアだけど、日本語ではトランシルヴァニア、というとドラキュラのいるところ!ってなっちゃうよねw しかし当時の私には、ジーベンビュルゲンというと、阿部 謹也の『ハーメルンの笛吹き男』で知った名前でした。

 

 

 この本も、めっちゃ面白い! 私はドイツにいるころに、親が送ってくれたドイツ鉄道(何日間だったか)乗り放題チケットを使ってあちこち一人旅をしたことがあり、そのときまず最初に行ったデュッセルドルフ*1の日本語の本屋さんでこの本(私が持ってるのはハードカバーの単行本)を買ってしまった。次に乗り込んだ電車の中で読んでしまって、そのままハーメルンまで行きましたねw

 そして、ここにチラッと出てくるのがジーベンビュルゲンルーマニアの真ん中にぽつりとあるドイツ人コロニー、それが当時ハーメルンから消えた子どもたちの子孫ではないか、という説があるという話。この本では、これはほぼ伝説に近い、根拠のない説としているけど、なぜか、だからこそか? すごく印象的で記憶に残ってました。

 で、ヘルタ・ミュラーもそこの出身ということで*2、Rさん(とたぶん旦那さん)が読んでいて、私にもお薦めしてくれたのでした。そのとき言われたことで覚えてるのは、当地の事情とか知らないとちょっとわかりにくい比喩とかもあるけど、ということくらい。今読むと、確かに背景知らないと難しそう……。辞書引いてもネットで探してもヒットしない単語も出てくるし。まあわかるところだけわかればいいか、という感じで読んでいこうと思います。

 

当時の日記

 さて、そんなこんなで当時の思い出をたどっていて、でもあれ、何年だっけ? メキシコ行って3年くらい? ということは1998年ごろ? 

 当時はパソコンはかろうじて使えてたけど、日本語の読み書きはできない時代で、日記とかもデジタルのは書いてなかったし、カメラもデジカメじゃなかったからデジタル写真(撮影日時付き)のはない。カレンダーも手帳も、アナログだったよなあ……。と考えていて、うっすらと記憶の底から湧き上がってきたのが、そうだ! あのときのドイツ滞在記wを手書きでノートに書いたんだ! ドイツ語で! あのノート、どこだ!?

 引き出しを掘り返したら、出てきました! こんな文庫サイズのノート。

f:id:tierra_azul:20211002111217j:plain

 

 中は手書きのぐちゃぐちゃな字w 

f:id:tierra_azul:20211002111525j:plain

 個人名とかモロに書いてるので、ぼかしてます。字も比較的落ち着いてるページ選びましたw 

 で、ドイツに「一時帰国」したのは1999年6月でした。5日にメキシコ出発、24日に帰国(メキシコへ。ややこしいなw)。その三週間足らずの日々のことを、このノートに約150ページにわたって書いてます。頑張ったな―私w 当時、特に最後のほうは忙しくて、日記書く時間もあまり取れず、それでも移動中の電車のなかとかで必死に書いてた。

 で、今日はヘルタ・ミュラー読まずに、自分の日記読んでましたw まあ飛ばし飛ばしざっとだけど。当時はまだ大学の友人たちとも連絡ついていたし、半分くらいは同じ町に、あとはベルリン、フランクフルト、デュッセルドルフなどなどに引っ越してて、そこまで遊びに行ったりしたので、めっちゃ忙しかった。ドイツ人はもちろん、日本人、そしてラテンアメリカ人の友人たち。今はもう、その大半が連絡も取らず、みんなどうしてるんかなあ。

 

ヘッセの詩 

 さて、ドイツ語というと、日本でもメキシコでも、(おそらくフランス語に比べて)響きがごつごつしてるとか言われがち。私は高校生のころからオペラとか大好きで、オペラといえばイタリア語もだけど、ドイツ語でも名作がたくさんあって、英語なんかと比べて母音が多いので*3、少なくともクラシック音楽には向いている言葉だと思ってます。

 が、ドイツ語の響きの美しさに感動した思い出の一つが、この1999年の滞在のときもベースキャンプwとしてお世話になったS夫妻のところでのこと。S夫妻は、S夫人が私が小学生のときの担任の先生で、いったん日本に帰ってからも細々と交友が続き、私が大学生としてまた同じ町に留学したときもずっとお世話になりました。今もまだ(細々とですが)交流のある、数少ないドイツ人です。

 そのS夫人があるとき、彼女の家の二階で二人で何かを見ていて、ふと出てきた紙切れを私に渡し、「ヘッセの詩よ。今から暗唱するから、間違ってないかちゃんと見ててね」と言って、流れるようなドイツ語で聞かせてくれた、その詩が、中身よりもその響きが美しくてうっとりしてしまったんですね。ヘッセの詩集を買おうかと思ったくらい、でも読むかな、と考えると、まあ難しかろうと諦めたりもしました。

 それから、折に触れてそのことを思い出しても、それが何という詩だったか、そもそもヘッセだったか? ハイネだったか? さえもあやふやに。

 ところがこの1999年の日記を読んでたら、ちゃんと書いてあった~! ヘッセのStufenという詩でした。今はネットで何でも調べられる便利な時代。すぐ出てきます。

Stufen (Hermann Hesse)

 YouTubeでも朗読の動画はいくつもありますが(ヘッセの詩のなかでも特に有名なものらしいです)、う~ん、どれもS夫人のあの流暢なドイツ語の響きには遠く及ばない……(思い出のなかで美化されてる可能性もありますがw)。上にリンクしたサイトには、ドイツ語の原文と、ヘッセ自身の朗読音声があります。まあ作者本人の朗読がいちばん間違いなかろうってことで。

 日本語では「階段」というタイトルで訳されている様子。高橋健二訳などがあるようです。メルケル首相が演説で一部引用した、なんて話も。

 

 この詩ひとつについてのウィキページまであるくらい、ドイツではよく知られて愛されているようです。

de.wikipedia.org

 詩の内容的にも、今の私にも心揺さぶられるところがあり、少し引用します(高橋訳)。

われわれは空間を次々と朗らかに渉破せねばならない。

Wir sollen heiter Raum um Raum durchschreiten,

どの場所にも、故郷に対するような執着を持ってはならない。

An keinem wie an einer Heimat hängen,

(中略)

ある生活圏に根をおろし、

Kaum sind wir heimisch einem Lebenskreise

居心地よく住みついてしまうと、弾力を失いやすい。

Und traulich eingewohnt, so droht Erschlaffen,

発足と旅の覚悟のできているものだけが、

Nur wer bereit zu Aufbruch ist und Reise,

習慣のまひ作用から脱却するだろう。

Mag lähmender Gewöhnung sich entraffen.

 私はどっちかというと定住型なので、こう言われると痛いんですが、物理的な旅でなくとも、気持ちの上で旅立つ覚悟が必要、と解釈すれば、まあ日々バヨの修行やら読書に頑張ってるから、許してもらえるかな……? こういう発想は若者ならまあそう思うだろうねえ、と言いたくなりますが、ヘッセがこれを書いたときは64歳、長病いのあとだったそうで、歳を言い訳にはできない……。

 

 そしてもう一つ、ここからビーズのように連なってでてきたのが、ヘッセの『ガラス玉遊戯』Glasperlenspiel です。この Stufen という詩は、Glasperlenspiel のテーマそのものでもあるようで、作中に引用されていると、ウィキページに書いてあります。

 この『ガラス玉遊戯』に関する思い出がもう一つあるんですよね。ドイツで学生やってたころ、いちばん仲がよかったドイツ人医学生Sは、「作家というのはたった一作、自分のすべてを打ち込んだ作品を残せればそれでいい」という信念の持ち主で、ヘッセのそれは『ガラス玉遊戯』だと言うのです。読んでない私は、へえ~、としか言えませんでした(その信念の内容にも、やや賛成しかねるところはありましたし)。

 で、その話を、これまたよく本の話をしていたS夫妻に話したところ(S夫妻はヘッセをすべてとは言わずとも、かなり読破しているはず)、ヘッセの最高傑作が『ガラス玉遊戯』という説にはやはり、やや賛成しかねる、というふうでしたが、それからしばらく経って、S夫人が急に私の住んでいた(医学生Sも住んでた)学生寮にやってきて、ちょっと近くまで来たので急いでこれだけ、と渡してくれたのが、ヘッセの『Glasperlenspiel 』でした。分厚くて高いから、と買うのをためらってる話を私がしたのかもしれません。

 まあでも、結局ヘッセってそれなりに読みづらいドイツ語だし、分厚いし、で、未だに読んでない本なんですが(読まなきゃなあ……)、実は日本語も、数年前に実家の引っ越しを手伝い、本の整理をしたときに、母の蔵書にあるのを見つけてもらってきた~! ので、手元にあります。さて、ドイツ語で読むべきか日本語で読むべきかw まあドイツ語読みつつ、いろいろ確認したいところとかは日本語参照って感じかなあ。ああ、また読みたい(読むべき)本が増えていく……。

 

古い友人発見

 さて、話はここでもまだ終わりません。1999年の日記を読んでいると、ドイツを離れて数年、メキシコの風俗習慣にだいぶ慣れた目で改めて見たドイツの、新たな発見が友人たちとの再会や大学の書類のためのやり取りの合間に、ふと挟んであるのが、今読むと面白いw ドイツのパトカーは白と緑、とか。窓の開け方とか(縦と横、二種類ある)。食器の洗い方とか。

 そして友人たちのことも、いろいろと細かいことが懐かしく、そうそう、そうだったよなあ、などと思い出しながら読んでたんですが。

 その中に、一人のドイツ人女性が出てきます。Bという名前ですが、姓のほうはポーランド風の、でも特にそれについて詳しく訊ねたことはない。1999年の滞在のころ、彼女は引っ越してしまって連絡がつかなくなってたんですが(ネットもない当時は引っ越すと共通の友人以外に手がかりなくなっちゃう)、ある日、私がチリ人の友人の家に行こうと町中からバスに乗り、けっこう混んでいて、空いてる席はないかなあと見まわしたら……なんと! Bがいたんです。

 Bは私が学生やってた当時、大学でスペイン語を勉強していた関係で、うちのダンナを筆頭にラテンアメリカ人グループと交流があり、私ともその流れで知り合った人。そして、ドイツ人彼氏とのあいだに子供が二人生まれたんですが、その彼氏がけっこう無責任なやつで、二人も産ませておきながら逃げ回っている男でした。私は当時、ベビーシッターを手伝ったり、彼女の愚痴を聞いたりしてましたが、とても繊細で優しい人で、男に苦労するのもなんかちょっとわかっちゃうタイプ。だからって苦労していいわけじゃないですけどね。

 で、バスのなかで偶然の再会を果たして、その後家に遊びに行ったりもし、子供らとも遊び、旦那さん(結婚はしてたんだかよく覚えてないが)の愚痴やら、義母さんはしかし息子じゃなく彼女の味方なので助かってるという話やら、聞きました。ついでに一度はベビーシッターもしました。

 そのときの日記に、「Bは当時より強くなったというか、自信がついた感じ。でも今も昔と同じによく笑うし、変わらずとても親切」と書いてあって、ああ、そうだ、Bの笑顔が今でも目に浮かぶなあと。とても線の細い人なのに、笑うときは大きく口を開けて、でも声はほとんど出さないでアハアハと笑うんです。

 

 他の友人たちも懐かしいけど、Bのことがすごく鮮明に思い出されたので、どうかなあと思いつつ、そのフルネームをネットで検索してみました。そしたら……なんと、ヒットしたんですよ、写真付きで。私たちがいた町から30キロほど南東に行ったところにある町の学校のサイトで、生徒たちを連れてスペイン研修に行ったという記事とか。間違いない! 写真を見れば、もちろん当時より老けてますが(私たちも人のこと言えないw)、確かにBの面影。

 ちょうど帰宅したダンナに、これ見て見て! Bだよ! と見せると、ダンナも、おお~!って反応。連絡取れるのか? と言う。直接は無理だけど、学校にメール出して、連絡してもらうよう頼めると思う。ただ、出てくる記事で最新のが2019年だから、まだそこにいるかはわからないけど……。

 というわけで、さっそくメール書いて出しました。メキシコの金曜午後、ドイツはすでに金曜の夜で、土日は週末で学校も休みだろうし、今はコロナでどうなってるかなあ……。わからないけど、連絡取れるかどうか、来週までドキドキです。

 

 1999年に買って、22年積読だったヘルタ・ミュラーから、思い出の連鎖でこんなところまで来てしまった一日でした。

 

 

*1:日本企業がたくさん入っていて、ドイツ最大の日本人コロニー(当時6000人)があり、日本食や食材はもちろん、デパートまであって書籍コーナーではすごい割高ではあっても日本の本が並んでいる、当時の私には夢のような空間でした。

*2:今ネットで調べると、厳密にはジーベンビュルゲンではなくて、トランシルヴァニアだけどバナートというところ出身。作品にもその名前が出てきますね。

*3:英語は母音が少ないところから、テンポのいいポップ音楽などに向いてると思う