気まぐれエッセイ@メキシコ

不定期に適当な文章をつづっていきます(現在バヨ中心)

老後と音楽

 こんな本を、友人が登録していて知りました。

 

 へええ~、ピアノか、でもちょっと気になるな、と立ち読みでプロローグを読むと、もう、そうそうそうそう!って言いたくなるようなことが書いてあって、さっそく買ってしまった。私はピアノは、どこがドか知ってる程度でぜんぜん弾けないけど。

 この人は私と同い年。50歳で仕事をやめ、その3年後に(つまり私より一年早く)夢だったピアノを40年ぶりに習い始めたという経歴。プロローグ(と第一章の冒頭)は立ち読みできるので、興味ある方はぜひ読んでみてほしいのですが。

 大人になってから始めるピアノ(楽器全般だと思うけど)は、いくら努力してもプロになれるわけでもなく、体は下り坂で衰えるばかり、

つまりは無意味

 と言い切る、稲垣さん。

これを通常「時間の無駄」という。

 ともw うんうん、まったくその通り。でも

……冗談かと思うほど美しい曲を、これまた冗談としか思えないひどい演奏で、「ひえー」とか「無理ー」とか叫びつつ何十回も繰り返す。無意味もここまでくると逆に清々しい。っていうか、これはこれで「楽しい」と言えないこともないのではないか? 何しろ目標がなければ挫折もない。急がなければ諦めることもない。少なくともやることだけは山のようにある。(中略)目標がなくとも、どこにも向かっていなくとも、今この瞬間を無意味に努力することそのものが楽しいなんていう世界があったのだ*1

 

 もう本当に、そのとおりでございます。思うように弾けなくて、何度練習してもうまく行かなくて、きぃぃ~~!ってなることもそりゃあるけどw、でもそういうときの万能の言い訳呪文、「この歳でやって、そうそううまく行くわけない」があるので、気を取り直して落ち着いて、はい深呼吸、ゆっくりやってみようね、って思えるし。

 というかね、この呪文、マジで呪文かもです。こう考えるととたんに、さっきまでできなかったことがすっと、何の問題もなくできたりするんですよね。たぶん、躍起になって、何かをやろうと(ここの手の動きはこう、とか、指をもっと伸ばして、とか)してると、力が入ってそれでうまく行ってない場合が多いのかな。そこで、肩の力を抜くとうまくいく、みたいな?

 前回のレッスンでも、サードポジションの混じった曲で、指と音を対応させるのに頭混乱してひえーってなった私に、先生が、リラックスリラックス!って言ってたw 

 

 ただし、この呪文には逆バージョンもあって、それでできるようになって、「おっ、私わりとできるじゃん」ってのがそれ。こう思うとまたできなくなる不思議w 前にもどこかに書いたけど、「自分が下手くそだと思うのは上達しているとき」、つまり、自分が上手だと思うのは上達してないとき?w ってことですかね*2

 

 で、読み始めたら予想通り面白くて、あっという間に最後まで読んでしまいました。楽器は違うのに、何これ、私の話ですか?ってくらい似たような経緯をたどっている部分もたくさんあって、先生から最初のレッスンで「どう弾きたいのか」って言われて、え、そんなこと考えるレベル?って思ったとか、笑っちゃいました。

 一方でこの人は子供のころに一度習っているからか、私なんかより上達がかなり早いみたいで、その一方で、「力を抜く」っていう難関にぶち当たるのが、え、そんなレベルまで行ってからなの!?(これは楽器の違いも大きいかもしれないけど)と驚いたり。

 

 そして

楽器を弾くということは、(中略)それは永遠のトモダチを得たということである。

 これはね~、本当にそうですね。私はまだまだこの人のような境地に達してはいないけど楽譜を通して数百年前の偉大な作曲家たちと対話している気分になったり、今はコロナでままならないけど合奏やオケを通して友達ができたり、そういうトモダチもあるだろうけど、まずは楽器そのものが、大事な一生の友人でもあります。

 音楽は聴くだけでも充分楽しめるし、この本でも何度も出てくる葛藤だけど、プロの美しい演奏ではなく自分の下手くそな演奏を毎日毎日なんで聞かなきゃいけないの?って疑問が湧くこともありますが、それでもやっぱり、自分でやってみる、ということにはまた違った楽しみがあるのですよね。

 演奏をしないまでも、音楽を聴きながら楽譜を眺める、というのも好きでした。ベルリオーズ幻想交響曲の総譜を、私持ってます。指揮者が使うような大判ではなくて、縮小廉価版ではありますが、それを見ながら聞いていると、普段なら耳に入ってこないような、あるいは入ってきても意識しないような、バックで鳴っている楽器の音が聞こえたり。そして何より、楽譜のパッと見た目が絵画のように美しい。

 音楽の楽しみ方は千差万別、これからも老後も、まだまだ楽しめそうです。

*1:そう言えばだいぶ前になるけど、別のブログで私が「努力する」ことについて書いたら、それを読んだ友人が「努力=苦しく辛いこと」としか解釈してないコメントをくれてびっくりして、いやいや、そういうこともそりゃあるかもしれないけど、でも楽しい努力もあるでしょ?って私は返したんですが、どうしても話が噛み合わなかったことがありました。なぜだろうな、日本はスポ根精神がしみこんでるから? 努力という言葉自体にはそんなネガティブな要素は入ってないと思うんですけどねえ……?

*2:数学の命題であれば、逆必ずしも真ならずですが、まあここは数学じゃないので