気まぐれエッセイ@メキシコ

不定期に適当な文章をつづっていきます(現在バヨ中心)

音楽表現って何ですか

 しばらくレッスンがないとなると、自力で何とかしなくちゃ! というほどではないとしても、どう練習すべきかとかごちゃごちゃ考え始めるので、ブログネタが増えます、あしからず。

 

 肩甲骨を少し使えるようになってくると、音がマシになった気がします。一音一音がそれだけでも変な音になっていたりとか、移弦のときによけいな弦を触ってしまって雑音出すとか、そういうのが少なくなった気が。

 そうなってくると、今度は強弱とかの表現も気を付けて弾こうかという余裕が出てくる。そんなときに、たまたま見た動画が、「練習とは何か」というテーマでした。

 練習はまずテクニック、技術を磨くため。でもそのテクニックは、表現の自由さを手に入れるためのもの。表現は、自分がその曲に対してどう解釈するか。

 

 で、またここで躓くわけですよ。音楽、特にクラシックの場合、すでに楽譜があって、もちろんそこにプロ奏者はそれぞれの解釈を付け加えて演奏してるんでしょうが、それって私レベルでもやらなきゃいかんの?

 理屈では、そうなのかなとも思うんですよ。目指す音がわかっていなければ、どんな練習をすればいいのかもわからないわけだから。でも、とにかく最初はそんなレベルじゃない、という気もする。どんな音を出したいか考える以前に、まともな音(音色も音程も)が出せないんじゃ論外では?

 

 そもそも「音楽表現」って何なんだろう? というところから始めますか。で、検索してみたら、英語ウィキのみに「ミュージカル・エクスプレッション」というページがありました。冒頭の定義をグーグルが翻訳してくれたところによると、

音楽表現とは、音楽に個人的に反応して演奏または歌うことの芸術です。 実用的なレベルでは、これはダイナミクス、フレージング、音色、アーティキュレーションを適切に使用して音楽に命を吹き込むことを意味します。作曲家は、これらの表現の側面を、楽譜の表記で多かれ少なかれ指定できます。

 つまり、作曲家の意図するところを読み取りつつ、演奏者独自の表現を。う~~~む。前も、ここの役割分担がなんか腑に落ちなくてグダグダ記事に書きましたね。

 

ensayomx.hatenablog.com

 プロなら、音楽史も勉強して、演奏する曲の作曲家の人生や性格を研究し、背景となる時代の歴史までもを考えて、その曲がどういう時代にどんな背景を持って作曲されたか、まで知り尽くしたうえで、演奏したりするのでしょうけど。

 そこまではやってらんないアマチュアなら、じゃあテキトーなところで独自に解釈しちゃっていいの? もちろん、その曲をあまりにも改変することは無理だとしても(例えばトルコ行進曲を葬送行進曲みたいな雰囲気で弾いちゃうとか)、明るいー暗い、楽しいー悲しい、軽いー重い、程度の大雑把な認識さえ合っていれば、あとは難しく考えなくてもいいのか?

 

 何かその辺を初心者向けに解明してくれるような本とか出てないかなあ、と検索してみたんですが、幼児の音楽教育の本か、あるいは専門家向けのめっちゃ難しいやつか。

 ないなあ、と思ってたら、こんなサイトを発見しました。

www.piano.or.jp

 ピアノレッスンのサイトで、主に小さいお子さんの生徒を視野に入れた話ですが、それでも大いに参考になりました。リストの下から順番に、全部読みました。

 最初の記事。

  音楽というのは、自分の想いを音を通して伝える手段の一つだと思います(日本人が一番伝えやすい日本語ではなく)。
 うれしい時には「こんな事があったよ!」と人に言いたくなるように、楽しい曲を「こんなに嬉しくなれるよ」と、聴かせたくなる。悲しい切ない曲があると、それをそのような気分に乗せて、人に伝える。

 (中略)

 言葉で説明できない分、聴き手は色々な想像を膨らませます。そこも音楽のおもしろいところです。

 言葉も誤解されることはありますが、音楽はそれよりさらに抽象的。まあだから、言葉や文化が違っても通じる(こともある)ってのが、また面白いですけどね。

 しかし、言葉の場合は、まず自分の気持ちがあって、それを表現する言葉を探してくるけど、音楽の場合は先に曲があって、その曲の気持ちを伝える? それとも、あるいはそれプラスその曲を発見した自分の感動を伝える? きれいな花や面白い虫を発見したときみたいに?

 言葉とのアナロジーで考えると、どうしても音楽でも即興演奏とかしないといかんような気になってしまうのですよね。そのときの自分の気分をメロディにして表現する、みたいな。でも、クラシック音楽の演奏はそれとは違う。

 

 その次の記事(032)によると、

 ピアノを使って自分の気持ちを表現するのが「ピアノを弾く」ということ。

 それが楽しい行為だというようなことを前回述べましたが、具体的に、表現力のある演奏とは?

 作曲家が作った曲を表現するのですから、演奏する人が言いたい事をただ並べるのとは少し違います。役者が、台本をもらい、その役になりきって表現していく(演技する)事と似ています。その場合は台本が日本語ですから、表すべき感情をすぐに理解でき、表現につなげやすいと思います。

 音楽の場合は、日本語ではなく音符です。

 ここから、その音符で表現するには、単語=フレージングが重要、そしてひとつひとつの音をどう出すか、ここらはテクニックの話になってきます。当然ですわな。

 その中にも、なるほどなるほどと思うようなことがたくさん書いてありました。全部コピペして忘れないようにしたいところですが、さすがにそれは……なので、控えておきますが。とにかく、もっともっと細部への意識を研ぎ澄ませること、それプラス、自分の表現というものを持つこと、それを演奏に反映できるテクニックを磨くこと。

 

 とは言ってもねえ。今の先生にレッスン受け始めてすごく初めのころに、バッハのメヌエット1番をやってて、この曲はどんなイメージ?と訊かれて、答えられませんでした。そもそもあのころは、今に輪をかけて(かけまくって)それどころじゃない!!!って感じでしたしね。このピアノのサイトを読んでいると、ここで小さい子供なら、難しく考えないでパパッと楽しい連想で何かを思い浮かべるんだろうなあ、と今ごろになって納得したりw でも頭の固いオトナになっちまった私は、そんなこと急に訊かれても答えられませんて。タンタンタン、タ~ラララン♪ でしかないのよ……。

 まあそれでも、今練習してるモーツァルトポロネーズなんかは、人様の演奏を聴けばそれなりにイメージは湧くし(これも上記サイトに書いてありました、なのに自分の演奏ではイメージゼロってどういうこと、ってw 弾くだけで必死でそこまで頭回ってないものと思われ)、これとはちょっと違うふうに弾きたいな、というのも少しはあります。できるかどうかは別として……。

 

 あと、勝手に思ってたんですが、表現、感情表現、という練習なら、比較的ニュートラルな曲をいろんなふうに演奏してみるとか。何ならスケールでもいいわけです。いつもやってるト長調のスケール2オクターブの往復を、いろんな感情で色付けして弾いてみる。ボウイングはもちろん、リズムとかもちょっと変えていいことにすれば、可能性は無限大。まあこれ、部分的に即興にもなってしまいますけどね。

 まだまだ習ってないテクニックのほうが多いレベルで、私にできることなんて限られてますが、それでも少しずつでもこういう練習もやっておけば、いつか役に立つ日が来るかもしれない!?

 何にしろ、まだまだまだまだ先は長い、ということで。