気まぐれエッセイ@メキシコ

不定期に適当な文章をつづっていきます(現在バヨ中心)

ボルヒャルト生誕100周年

 今日はコロナワクチン第一回を受けてきました。ファイザーでした。副反応は大してなかったけど、いちおうあんまり運動しちゃいかんらしいのと、やっぱり注射を受けた右の二の腕、ちょっとは痛いので、今日は念のためバヨ練習お休み。

 ブログもお休みしようと思ってたけど、タイトルの事実をたまたま知っちゃって、ボルヒャルト、思い出深い作家なので、ちょっと書いておこうと。

 

 ヴォルフガング・ボルヒャルト、日本ではほとんど知られてないと思います。一度だけ、神田の古本街を回っていたときに、段ボールのような箱に入った2冊組の古い古い本で、確か早川書房の出版だった気がする、ボルヒャルトの作品集があって、買おうか迷ったけど、ドイツ語で持ってるしもういいかと見送ったことあり。それ以外で日本語で出版されてるのはないんじゃないか?ってくらいマイナー。

 1921年5月20日生まれ。ハンブルクで生まれ育ち、エルベ川をこよなく愛していたそうです。若いころから詩や戯曲を書き散らしていたけど、初期の作品はいかにも若書きって感じで、そうでもない。でも第二次世界大戦で兵士として駆り出され、ソ連まで行って、でもいやでいやで、とうとう自分で左の薬指だったかをこっそり銃で吹き飛ばして(かどうか事実はわからないけど、一人で見回り中に負傷して指を失ったのは事実)、確か一度は家に帰されたんだけど、また徴兵されたんだったかな?

 戦争が終わったときには、生き延びてはいたものの、いろいろと無理がたたって体を壊していて、その後数年の闘病ののち、26歳で亡くなった。そのわずかな数年間に書き残した作品、これがすごいんです。戦争体験と、それから死と向き合っての生活が、これだけのものを書かせたのかな。

 

 私は、ドイツで生物学の修士論文(Diplomarbeit)を書いていた時期に、そのテーマがPisidiumという2ミリくらいの淡水生二枚貝の生態だったんだけど、その貝の専門家というのは世界でもほとんどいなくて(まあそんなちっこい、食べ物にもならない貝、誰も研究しないわなw)、デュッセルドルフに1人、この貝を研究したことある教授がいたので、何回かその教授に教えを乞いに出かけて行ったことがあり。

 その教授と言うのが、当時どういう理由でだか、仕事はないけど給料はもらえるという立場で家で退屈していて、私が行くと、毎回話が長かったw で、奥さんは確かギムナジウムの先生をしていたとかで、ある日、子供たちも大きくなって家を出て長いし、いろいろ処分しようと思ってる。屋根裏に本がたくさんあるんだけど、欲しいものがあったらあげるわよ。とおっしゃるので、喜んで見に行った。

 薄暗い埃っぽい屋根裏に、床に直接積まれた本の山。子供のころ大好きだったエリナー・ファージョンの『ムギと王さま』の序章に出てくる本の小部屋みたいだった。とはいえ、座り込んで読み耽るというわけにはいかないので、適当に目に付く本を見ていると、ボルヒャルトの名前が目に留まった。

 ちょうどそのころ、日本の母がドイツ語のレッスンを受けているところで、ボルヒャルトの作品(何だったか忘れたけど)を読んだ、と手紙に(当時は赤と青の縞々模様の航空便の手紙だった)書いていたのを思いだし、それをいただくことに。他にもなんだったかもう一冊もらった気がするけど、忘れた。

 帰りの電車の中で読み始めたボルヒャルトが、もう面白くて、私の好みにドンピシャで、夢中で読み耽って、布張りのハードカバー特装本のそれを手に入れた幸運に、感謝感謝。

 彼の人生は短かったので、作品数も少なく、全集と言っても一冊に収まる程度。それを一冊読んで、それから、遺稿集という薄い本が出ていたのでそれも買って読み(94年9月23日読了、いくつかの作品は加藤登紀子の歌を思わせる、と本に書き込みあり)、それからrororoから出ている伝記集のボルヒャルトも読んだ(上に書いた略歴はその記憶を頼って書いているので、不正確かも。94年9月25日読了)。

 

 もう一つ、ボルヒャルトに関する思い出。

 大学生当時、最初のころに住んでいた学生寮の近くにあったホームドクター、たまに具合悪くなるとまずそこに行ってたんだけど(中耳炎とかよくやってた)、その待合室に、ガラスの額に入れられた詩があった。手書き文字で、待ってるあいだ暇だったので、それを読んで、当時はボルヒャルトを知らなかったけど、とてもわかりやすい(そのころの私でも普通に読める)ドイツ語と、直接響いてくる反戦の強い意志が印象的だった。あとで、それがボルヒャルトの書いたものだと知った。

 

de.wikipedia.org

 この詩だけでウィキのページがあるほど有名。ただ、ここの写真に載ってる字とは、待合室のは違ってた。普通に小文字も使って書かれてて、NEIN!だけが大文字だった。

 機械で働く君たち、工場で働く君たちよ、もしも明日、君たちに、水道管や料理鍋を作るのはやめろと命令されたら、その代わりに鉄のヘルメットと機関銃を作れと言われたら、やるべきことはただ一つ、ノーと言え!

 という調子で、素朴な暮らしをしている市民たちに、戦争に対してノーと言え!と呼びかける詩。これは、デュッセルドルフでもらった本のいちばん最後の作品として収録されてて、それを読んで、あの待合室の詩がボルヒャルトだったのか!と知った次第。

 

 私にとっては、その他の作品も、書き始めると長くなるのでやめておきますが、どれも印象深く、思い出深い作品ばかり。今読むと、暗くて重くて、辛くなっちゃうかもな内容ではあるけど……。

 

 検索してみたら、今も手に入る日本語訳の本、出てた! 高いけど!

 

 こんな伝記本もあるんだ!

ヴォルフガング・ボルヒェルト―その生涯と作品

ヴォルフガング・ボルヒェルト―その生涯と作品

  • 作者:加納 邦光
  • 発売日: 2006/07/01
  • メディア: 単行本
 

 

 そうか、ボルヒャルトじゃなくて、ボルヒェルトなのか。まあ……正確に書くとそうなるか。私としては発音はボルヒャルトなんだけど。

 もう少し、日本で知られてほしい作家のひとりです。