今朝、こんな記事を見ました。
へええええーーー、この本ってアメリカの絵本だったんだ、しかも最古!? 知らなかった!
この記事によると、原作は1928年出版。昭和3年。日本語版は、石井桃子訳で福音館から出ていて、1961年発行。私が子供のころ愛読したのは、1965年の第11刷となっていて、250円。
数年前から我が家に猫が増えだして、それでも私はいちおう猫を選んでいるのに、見境なく猫を見れば欲しがるダンナに、この本を読ませたい! と思ってた。英語での読み聞かせ動画がネットにあったので、ダンナに教えたけど、英語はそこそこできるとはいえ、仕事関係でもない、スペイン語ですらあまり読まない子供向けの絵本は、よくわからなかったらしい(もしくは、わからないふりをしたのかも?)。
それはともかく、実家にあったこの古い本も、無事入手して再読。子供のころもインパクト大なお話だったけど、今読むと、いいのかこんなの子供に読ませて!? と思う内容。
上の記事にもあらすじがあるけど、ちょっとこのラストをじっくり読んでみましょう。
二人きりで寂しいおじいさんとおばあさん、猫がいれば楽しかろうということになって、猫を探しに出かけたおじいさんは、どの猫もかわいいからと100万匹ところか、一億、一兆匹の猫を家に連れ帰る。すでにその帰路にて、猫たちの食べるもの、飲む水、尋常でない量で、道々とんでもないことになってるんだが……。
こんなにたくさんの猫、飼えませんよ、とおばあさん。で、
猫たちに決めさせよう! と言いながら、「いちばんきれいな猫」という条件をさらっと付けるおじいさん。
猫も肉食獣だしねえ。ていうか、人間だって一兆匹も、もとい、一兆人もいたら、今よりもっと頭おかしくなって殺し合い始めるだろうねえ。
おじいさんたちは、そんな喧嘩は、大嫌いでした。(・ω・) 原因作ったの、誰だよ?
みんなで食べっこしてしまった……。さらりと怖いこと言うおばあさん。
というわけで、たった一匹生き残った猫は、おじいさんとおばあさんからたっぷりのミルクと愛情をもらって、むくむくとかわいらしい猫になりました。
これが、最後のページ。いっちょうひきの ねこを みてきたんだからねえ……じゃないッつうの!!
まあでもね、どんなにみすぼらしい猫でも、きちんと飼えばきれいでかわいい猫になるし、まあ遺伝的に、もしくは後天的にちょっと不具合とかあったとしても、それすらも世界で唯一無二の我が家の猫として、よそのどんな猫よりもかわいくなっちゃうもんです。それについては、まったく異議なし。猫だけじゃない、犬だろうがイグアナだろうが、どんな動物だって同じ。
というわけで、めでたしめでたし。なお話なんだけども……。
ちょっと待て。子供のころはあまり疑問に思わなかったけど、一兆匹の猫たちが大喧嘩して殺し合いをして、同族殺しでは群を抜いていると思われるホモ・サピエンスも真っ青の大量虐殺が行われたとしてもだ。そして殺した相手を食べてしまったとしても、だ。
すべての死体が消えてるのはおかしいだろ!? 相打ちになったとしても、何匹かの死体は残ってるはず。猫は死に際に姿を隠すから……とか、そういう理由でこじつけ!?
もしも……壮絶な殺し合いの果てに、そこには死体が一個も残ってなくて、ただ一匹、生き残った猫がいた……。その猫がどんなにみすぼらしくて痩せこけていて、殊勝なことを言ってみせたとしても……。ムクムクと黒い疑惑が湧きあがってくるのは、私が汚れた大人だからか!?
まあ子供向けのお話には、おばあさんがスズメの舌をちょん切っちゃったり、オオカミのお腹をチョキチョキ切ったら食べられてドロドロに溶けた……と思いきや何ともない赤ずきんちゃんとおばあさんが出てきたり、カニが柿をぶつけられて死んだり、けっこうホラーな展開のものもあるからねえ。
実家にあった、しかし子供のころはそれがメキシコ民話であることも、文と絵がメキシコで活躍した日本人画家、北川民次であることも気付いてなかった、こんな本も、
よくまあトラウマにならなかったなw というほどのホラー展開で、無力で何の武器も持たないか弱いうさちゃんが、
こんななるんだからねえ……w か弱い猫ちゃんも、ある日弱ったおじいさんおばあさんに……?